Porges の説を概観するならば、系統発達学によれば、神経制御のシステムは三つのステージを経ている。第一段階は無髄神経系による内臓迷走神経で、これは消化や排泄を司るとともに、危機が迫れば体の機能をシャットダウンしてしまうという役割を担う。これが背側迷走神経(dorsal vagal comlex,DVC)の機能である。そして第二の段階はいわゆる闘争・逃避反応に深くかかわる交感神経系である。
Porges の理論の独創性は、哺乳類で発達を遂げた第三の段階の有髄迷走神経である腹側迷走神経(ventral vagal comlex,VVC)についての記述にある。VVCは環境との関係を保ったり絶ったりする際に心臓の拍出量を迅速に統御するだけでなく、顔面の表情や発話による社会的なかかわりを司る頭蓋神経と深く結びついている。私たちは通常の生活の中では、概ね平静にふるまうことが出来るが、それはストレスが許容範囲内に収まっているからだ。そしてその際はVVCを介して心を落ち着かせ和ませてくれる他者の存在などにより呼吸や心拍数が静まり、心が安定する。ところがそれ以上の刺激になると、上述の交感神経系を媒介とする闘争-逃避 fight-flight やDVCによる凍りつき freezing などが生じるのである。このようにPorgesの論じたVVCは、私たちがトラウマに対する反応を回避す際にも自律神経系が重要な働きを行っているという点を示したのである。
腹側迷走神経系が「発見」された経緯
これほど重要な役割を果たすVVCがなぜ Porges の発見を待たなくてはならなかったのかについて疑問を持つ方も多いであろう。本来精神生理学者であったPorges は、早くから彼の言う「迷走神経パラドックス」、すなわち迷走神経の心臓に与える影響が、一方では呼吸性不整脈というそれ自身は生理的で健全な影響を、他方では危険な徐脈をもたらすという二つの矛盾した側面を持っていることに関心を持っていたという。そして迷走神経の心臓への影響への研究が進む中で、彼はは爬虫類に支配的な迷走神経背側運動核に発する植物的な迷走神経と、哺乳類に支配的な疑核に発する機敏な迷走神経(すなわちVVC)とに仕分けすることを提案し、それがその後のポリヴェーガル理論へと結びつく研究となった(津田、P56) 。Porges はVVCを鰓弓由来の神経発達のプロセスから掘り起こし、それが頭蓋神経の三叉神経、舌咽神経、顔面神経、迷走神経、副神経の起始核とも深く連携することを指摘した。そしてそれが横隔膜上の器官、咽頭、喉頭、食道、心臓、顔面などを支配し、これらはいずれも情動の表現に置いて極めて重要となる点を指摘したのである。このVVCはいわば高覚醒状態をつかさどる交感神経系と、低覚醒状態に関与した背側迷走神経の間に存在し、両者の間のバランスを取っている存在としての意味を持つが、その意義をいち早く見出して臨床に応用を試みたのは、トラウマ関係者であるPeter Lavine のソマティックエクスペリエンシング、バンデアコーク Pat Ogden らであったといわれる。これらの人々の理論と合流することで Porges の理論は大きな発展を遂げたのである。
津田真人 (2019)ポリヴェーガル理論を読む からだ・こころ・社会 星和書店
情動とポリヴェーガル理論
ところでポリヴェーガル理論は、感情についてどのような知見を与えてくれるのだろうか? そのヒントとなるのが、Porges のニューロセプション neuroception という概念である。知覚 perception が意識に登るのに対して、ニューロセプションは意識下のレベルで感知されるリスク評価を伝えるものであり、身に危険が迫った場合に思考を経ずに逃避(ないし闘争)行動のスイッチを押すという役割を果たす。これは感情を含んだ広義の体感としてもとらえることが出来、Damasio のソマティック・マーカーに相当する概念ともいえる。そしてそのトリガーとなるものの一部は、目の前の相手のVVCを介した声の調子、表情、眼差しなどである。このように Porges にとっては自律神経系の働きと感情との関りは明白である(p.72)。
このような Porges の理論からは、感情と自律神経との関係は明白であるといえる。人間の感情が声のトーンや顔面の表情によって表現され、また胃の痛みや吐き気などの内臓感覚と深く関与することを考えれば、それらを統括するVCCの関与は明らかであるとも言える。VCCは発達早期の母子関係を通して母親のそれの活動との交流を通じてはぐくまれ、発語、表情などに関与する。その中で感情体験は身体感覚や内受容感覚も複雑に絡み合って発達し、その個の自然界における生存にとって重要な意味を持つのである。
このように感情と自律神経との関係は自明であるにもかかわらず、従来はほとんど顧みられなかったとされる。その例外はW. Canonであったが、彼は主として交感神経と情動の関与に着目したのみであった。