2020年1月10日金曜日

顕著なパーソナリティ特性 3


さてICD-11マインドを持った医師は、患者さんのPDについて、「何チャラPD」のことを考えるのではなく、いわばジェネリックなPDがあるかどうか、ということを考える。なぜならICDの診断では、まず問われるのがそれだからだ。そこには「何チャラPD」という診断はあてにならない、という思いがある。DSMで延々と用いられてきた、例えばボーダーラインとか、自己愛とか、スキゾイドなどは、あまりにもオーバーラップをし過ぎていて、結局はPDのあるなし、だけが重要じゃないか、という議論になったからだ。これを難しい言葉で、polythetic (多元的)な診断ではなく、monothetic (一元的)な診断方針で行きましょう、と言い表すことが出来る。 ではどのような人がPDなのか、ということだが、以下のように言い表すことが出来る。「認知、感情体験、感情表現、行動のパターンの障害」を有するということ。どうだろうこれでわかるだろうか? ウーン、なんとなく? 思い出そう。DSMPD は、A群、BC群に分かれていた。A群はたとえばスキゾイドなどの認知系の問題、B群はボーダーラインなどの行動系の問題、C群は依存、抑うつなどのどちらかと言えば感情体験の問題とされた。つまりA,B,C群すべてに共通している問題はとなると・・・・。結局「認知、感情体験、感情表現、行動のパターンの障害」となっておかしくない。つまり ICD-11 の言っていることは当たり前のことだ。それでも私たち(臨床家)はどちらかと言えば、「あの人はPD があるのではないか?」と思うより前に、あの人にはたとえば「反社会性があるのではないか?」というカテゴリカルな見方が先に立つ傾向があるのだ。たとえて言えば「あの人は体の病気だ」と思うより前に「あの人は糖尿病なのだ」と認識する傾向にあるということだ。ただし体の病気なら、「心臓病だ」という医師と「内分泌系の病気だ」という医師の意見があまり重ならないのに、こ とPD となるとここで医師の個人差や診断上の重なりが起きてしまうという事態があり、それが心の問題そのものの性質によるものだという問題があるのである。これが心の問題をややこしくしているのである。DSM のカテゴリカルな診断は、PDをあたかも体の病気と同じように診断しようとしてきた結果、そこに生じる矛盾が明らかになり、大幅なモデルチェンジを迫られているという事情があるのである。
さてここからがややこしい話になるのだが、どうしてそれに代わってディメンショナルモデルがこの時期に出てきたか、ということになる。カテゴリカルな分類をしない、と言いながら、例の特性があげられている。「否定的感情」、「離隔」、「非社会性」、「脱抑制」、「制縛性」という五つだ。だったらいっそのこと、「否定的感情 PD」、「離隔 PD」、「非社会性 PD」、「脱抑制 PD」、「制縛性 PD」というのを作っちゃえばいいのではないか、という話になる。いや、確かにそうだ。だって非社会性、というのはかなり「反社」に近いのだから、これはそのまま生かせそうだからだ。そしてボーラ―ラインも別格扱いになっているようだから、これでBPD も復活。後は制縛性だってかなり強迫的パーソナリティと名前を付け替えてもいい感じだ。(ただしDSMの「強迫性 PD」はこれとはニュアンスが違うのでご用心。)あとは離隔は「孤立・孤独傾向 PD」 と言い換える。脱抑制は「衝動的 PD」などと言い換える。これでいいのではないか? またオーバーラップの可能性が出るのではないかって? しかしこのつの特性は例の五因子モデルから来ているのであろうし、これらはパーソナリティ構造を構成する、比較的独立変数的な性質を持った つとして抽出されたもののはずだ。
これらの考えは間違っているのだろうか? 私はこの時点で本気でこう言っているのであるから、まだ自分の間違いを訂正できるように論文を読み込まない限り、このテーマについての論文は書き進められないことになる。それともう一つ、私が分からないことがある。それはDSM-5 の代替案として出てきたディメンショナルモデルの特性項目5つ(否定的感情、離脱、対立、脱抑制、精神病性)と、ICD-11で出てきた5つの特性項目(否定的感情、離隔、非社会性、脱抑制、制縛性が微妙に一致していないのだ。どうしてだろうか? 翻訳の問題だろうか。そこで英語の表現を拾ってきて比べてみる。

ICD-11の否定的感情 negative affectivity、離隔detachment、脱抑制disinhibition、非社会性 dissociality、制縛性 anankastism

DSM-5の否定的感情 negative Affectivity、離脱 detachment、脱抑制 disinhibition、対立 antagonism、精神病性p sychoticism

なんだ、あまり変わらないや。後はDSMの対立 antagonism というのが結局は一種の反社会性、ということを分かっていれば、両者はほぼ同じものと考えられる。すると唯一の違いは、DSMの精神病性と、ICDの制縛性。この両者はかなり違うものである。この違いはどこから来たのか。ウーン、少し面白くなってきた。