2019年10月5日土曜日

共に揺らぐこと 1

 揺らぎという概念について考えていることで、共振、共揺れ、ともに揺らぐことについての理解につながったことを私は感謝している。結局人間は快楽を追及する生き物であるという点は間違いがないが、それが具体的に何を意味しているかについては、揺らぎという概念の助けが必要になる。そしてそれにより一歩進んだ人間理解も可能になるように思えるのだ。
 まずはいわゆる「マキャベリズム」の考えに立ち戻りたい。マキャベリズム(Machiavellianism)とは、人間は誰もが自己利益の追求という原理に従って行動するということを主張する。そして君主もまた道徳的・倫理的に行動するのではなく、むしろ合理的に行動すべきだというのが彼の有名な『君主論』だったわけだ。この考え方に従うと経済活動はいわゆる「合理的経済人 homo-oeconomicus」により成り立ち、その目的は個人的な利益の追求ということになる。経済活動もその産物であると考えることで、確かにある種の経済現象(たとえば株価の動きなど)はよくわかることになる。人は結局は一皮むけば自分のことを優先させるエゴイスティックな存在、と言う事になってしまう。
  しかし精神分析家の立場から人間を観察するに、人間は決して個人的な快楽のみに走っているのではないのはあまりに確かなことだ。だからといって愛他的な行動に走っているとも、もちろん言えない。彼らが一番夢中になるのは、ウィンウィン状況で「仲間と喜ぶこと」なのである。少なくとも共感能力をある程度備えた人なら、そうなるのだ。(その意味では人と一緒に喜べるかどうか、と言う事はその人の社会性、ないしは発達障害の有無を知るうえで、かなり貴重な指標となるのだ。
  どうしてワールドカップで自国のチームを応援している人たちは、自宅のテレビの前で一人で喜びをかみしめることをせずに、お金を払って近くのバーなどのパブリックビューイングに集まるのだろうか。なぜ人はうれしいことがあるとすぐネットにアップをしたり、家族や友達に話したくなるのだろうか? それは一人で喜ぶことには、その大きさに限界があるからだ。運命を共にする仲間と喜ぶとそれが倍増する、というよりそうしないと本当の意味で喜べない、という人さえいるのだ。

 もしあなたが宝くじで1000万円を当てたとしよう。もちろん誰にも言わずに銀行に行って貯金をして、残高の金額を見て密かにほくそ笑む、という人もいるかもしれない。でも多くの人は友達を集めてパーッと飲み会をしよう、豪遊しよう、ということになる。1000万円のうちかなりの部分が集まった人の多くの呑み代に消えることもわかっていて、それでも仲間と祝おうとする。 いわゆるパリピ(使い方間違っていないかな?)の人たちはおそらく一人で楽しむという発想が、そもそもはあまりないのかもしれない。もちろん宝くじで儲けたお金でパーティなどに散在せずに、高級車を買って乗り回そうという人は、自己満足のためにお金を使おうとする人といえるかもしれない。しかし彼らは結局はその車に友達を載せて遊びに行こう、となる。もちろん自分の高級車を自慢したいというのもあるだろう。しかしおそらくは一緒に車の乗り心地を楽しんで欲しいという気持ちもかなり強いだろう。
  そのような行為は、その仲間のためを思って、という愛他的な行為とは言えない。しかし自己満足を得たいという純粋に利己的な行為でもない。とにかく自他ともに一緒に楽しみたいのである。これは利己主義、愛他主義を包み込んだ、おそらく人間集団が最もクリエイティブになれる瞬間なのである。
  もちろん様々な問題がここにかかわってくる。人はたとえばこぞって他の集団の悪口をいうことでも盛り上がるのだ。これも結構楽しそうだ、ということは隣国を見ればよく判る。(あ、言っちゃった!)しかし人を陥れて一緒に喜ぶというのはいじめの精神にも似て、人間の心の貧しさの表現の最たるものといえる。ただしこの種の楽しみもまぎれもなく存在するのは確かなことである。だからこそ一緒に楽しむ、そのレベルで共感を発揮するというのは問題なのだ。