2019年6月14日金曜日

AIと精神療法 推敲の推敲 3


理想的なAIセラピストを妄想する

これまで厳密さとは程遠い議論をさんざん重ねた後で申し訳ないが、最後に理想的なAIセラピストについて妄想してみる。AIについての緻密な議論をするような知識は私にはなく、また参考となる資料も思いつかないが、まだ私の心の中にだけあるAIセラピストの姿を描いて見たいのだ。その際本稿でこれまでに考察した内容が参考になる。
ただしAIセラピストに様々な機能を取り込んでいくと、最後にはセラピストというよりはさまざまな能力を備えたパートナー、ないしはアシスタントという感じになってしまいそうだ。そこでAIセラピストは、そのいわばマルチタスクのパートナーのセラピストモードだけをオンにした状態と考えていただきたい。(そんな不謹慎なこともAIに関しては出来るはずである。)
一応AIセラピストにはロボットとしての形を与えておくことにしよう。もちろん仮想上の、ディスプレイにしか現れないセラピストという形でも構わないであろう。その場合にはパソコンに入れて持ち歩くポータブルセラピスト、という事になる。もちろん人によってはAIセラピストも動き回れる方がよく、触った時に何らかの感触が味わえることに意味があるかもしれない。しかしそれではセラピストとしてのイメージが湧きにくいので、据え置きのフロイトのような風貌の、いわば「フロイトロイド」のような代物を考える。それを初期投資をして買い取る形にするか、それとも月々のリース代(治療費、と呼んでおこう)を支払いする形にするかはクライエントの選択に任せよう。
AIセラピストは基本的に二つの機能を担う。第一にはいわゆる「フィードバック機能」である。これは現在のクライエントに関する情報をできる限り忠実に、バイアスなく伝えてくれる機能である。第二にはクライエントとの「関係性を成立させること」であり、これは両方向性のやり取り、コミュニケーションを行うことである。もちろん両者は混ざりあって行われてもいいし、むしろその方が自然かもしれないが、とりあえず機能としては分けて考えておく。
まずフィードバック機能についてである。ご主人に関する情報には、現在のAIが可能なあらゆる事柄が含まれる。体温や血圧や脈拍数、顔色や血色から判断されるストレスレベルや栄養状況、さらには貧血や黄疸の兆候など医学的なデータがそこには含まれる。それらのデータはクライエントを視覚的に捉えたり、場合によってはモニターを装着させたりする形で収集される。もちろんそれらをすべて数値にしてクライエントに見せるわけではない。特に際立った、あるいは注意が必要な情報に限って、頃合いを見計らって伝えればいい。何事も適切なデータ量というものがあり、データの洪水を提供してクライエントをいたずらに混乱させることが目的ではない。しかしAIセラピストはクライエントのこれまでの医学データを有し、現在示されているどのデータが特に意味があるかを判断できるだろう。そのためにAIセラピストのフィードバック機能はかなりカスタマイズされ、的確なものにすることが出来るに違いない。
医学的なデータだけではない。社会生活に重要な身だしなみなどについてのフィードバックは、特に身なりを気にしない傾向のある独身男性などは重宝するかもしれない。「今朝は少し加齢臭が少しきついですよ」とか「爪のお手入れがいまいちですね」、場合によっては「髪の毛に寝癖がついていますよ。」「鼻毛が伸びすぎかも知れませんよ。」など。あるいは「社会の窓が開きっぱなしですけれど、そのまま外出はしない方がいいですよ」など、誰も直接に言ってくれないことをやさしく伝えてくれるだろう。また目ざといAIセラピストなら、「今日履いている靴下は今日で100回目の使用ですよ。そろそろ穴があく時期かもしれません。」と言ってくれるかもしれない。
 しかしこれらの指摘をうるさく感じる場合は、これらの機能をオフにすればいい。(もちろん「最近右目の横の小じわが4本から5本に増えました、とか「前髪の生え際がまた○○ミリ後退しました」などを伝える機能は最初からオフの方がいい。) 便利なことに、「おせっかい度」はクライエントが自分で調節できる。「田舎のお母さんモード」にすると、あらかじめ録音された母親の声で余計なことまで囁いてくれる。まあほとんどオフにされることが多いが。
以上はクライエントに提供するフィードバックとしてはかなり表層的な印象を与えるかもしれない。ところがクライエントがマイクロフォンを通じて自宅のAIセラピストに常に日中の言動の逐一を送るという機能もある。すると、以下のようなセラピーモードのフィードバックが来るかもしれない。
「今日の会社の会議でのあなたの発言は、いつもと少し違って相手に対する迎合度スコアが高かったですよ。相手の上司Aさんとの間に何か起きていませんか?」
「今日は事務のBさんに対する挨拶の苛立ちスコアが若干高めでしたが、お気づきですか?」あるいは「あなたは同僚のCさんに対してはほかの人に比べて少し皮肉スコアが高くなっているというデータが出ています。」など。時には
「職場のDさん(女子)のあなたに向けた視線が少し潤んでいましたよ。」(言い忘れたが、クライエントは高性能360度ビデオカメラもオプションで装着できるのだ。)
さらには精神分析モードを少し上げることで次のようなコメントも来るかもしれない。「今日の上司Eさんに対するあなたの言葉には、あなたがお父さんに対して持っている気持ちの転移が見られませんか?」
あるいは「今日ご覧になった夢を教えてください。解釈はユング派にしますか?」などというのもあるだろう。なおこの種のコメントに関しては、フロイト・モード、コフート・モードなどは自由に選べるが、ラカン・モードは開発費にお金がかかったためオプション価格を支払ってダウンロードしなくてはならない。
AIセラピストのいい所は、クライエントにとってはこれらの言葉が「他意がない」と考えざるを得ないことである。解釈にしても、患者さんの連想に対するそれぞれの学派の典型的な解釈の膨大なデータから割り出されるものであり、AIセラピストのバイアスは除外されている。というよりはモードの選択を自分自身で調節可能なので、「他意」を持ち込みようがない。つまりAIセラピストからのフィードバックをクライエントが「他意」と感じ取ったこと自体が、常にクライエントの反省材料になるのだ。クライエントに殴りつけられそうな雰囲気を感知したAIセラピストは静かに言うだろう。「どうぞ、私が心を持っていないこと、悪意を持ちようがないことを思い出してください。なお私を叩く場合には本体の破損には十分ご注意ください…」
ただし以下に他意のないフィードバックでも、ネガティブな内容を含みすぎるとクライエントの側の抵抗が生じるのは当然である。そのために少なくともデフォルトの状態では、AIセラピストは十分に楽天的で支持的でなくてはならない。探索的、進入的な度合いのメモリは、クライエントが少しずつ上げていけばいいのだ。
さてAIセラピストとの「関係性」の機能であるが、特に傷心で慰めが必要と感じるクライエントは、最初は「コーペイモード」をマックスにしておくという手もあろう。それこそ「今日も起きられてエライ!」「心臓もちゃんと動いていてエライ!」から始まるかもしれない。これで心が安らかになるならそれでいいだろう。他の誰も言ってくれないことだ。しかし大抵の人は、「うるさいだけだ!」「馬鹿にされている気がする」という反応をするだろう。その場合は、「コーペイモード」のレベルを下げていく。すると、例えば起床時間が8時なのに9時に起床した場合には、「すごい、一時間以内に起きられたね!」と声をかけてくれたり、寝坊したことは咎めずに単に「おはよう!・・・」だけのコメントをくれたりする。こうして「コーペイ度」もクライエントが決めていけばいいのだ。もちろん虐められたい向きのクライエントのために「逆コーペイモード」も選択できる。するとたとえば「たまにちゃんと起床できたからって調子に乗るなよ!」とうれしい事を言ってくれるだろう。
さてこの程度でとどめておこうと思ったが、書いているうちに私は想像をさらに掻き立てられることに気付いた。人間は想像するだけで金がかからないことには欲張りになるものだ。さっそく以下のような内容を付け加えたくなったのである。まずAIセラピストには、朝外出する前に全身をスキャンしてもらう必要があるだろう。するとたとえば「あれ、今日はめがねがポケットに入っていませんね。お忘れですか?」とか「鍵を忘れていませんか?」「ジャケットのポケットが外に出てますよ」「ネクタイが左に5度ほど曲がってますよ。」などと教えてくれる。女性なら「今日はアイシャドウが平均より5パーセントほど濃いですよ。」など。「気になるなら、口臭をチェックしますからセンサーに息を吹きかけてください。」も役立つ。またAIセラピストは「モニターをお忘れなく」と促すことを忘れない。これには体内の聴診音のセンサーも含まれる。するとこんなことも起きるかも知れない。「どうも胸部大動脈からかすかな異音が聞こえます。ここひと月の間に、少しずつ大きくなっています。ひょっとして今日あたり解離性大動脈瘤の破裂があるかもしれません。」あるいは破裂の瞬間に自動的に119番に連絡してくれる。もちろんこれまでの医学データも即座に転送されるかもしれない。
さらにマイクロフォンは一日に自分が発した言葉はすべてデータとしてAIセラピストに送られる仕組みになっているため、上司との会話、友達との女子トークの一言一言が録音される。(ただしこのように集められるビッグデータについては、もちろん録音された相手のプライバシーを守るべきだとの議論も起き、社会問題化する可能性もあろう。)ともかくもAIセラピストは忠実に、ご主人の言動についての目立った点をフィードバックしてくれる。痴漢防止にも役立つぞ。満員電車でも常にドライブレコーダーのように周囲を監視してくれる。冤罪で訴えられそうになっても、落ち着いて録画を提出すれば安心である。そしてもちろんだが、少し酒を飲んで運転しようものなら「残念ながら、エンジンをかけることをストップさせていただきます。」と来るだろう。
仕事も積極的に助けてくれる可能性がある。会社での大事な会議。データをまとめてプレゼンをしていたら、上司のするどい質問に詰まってしまった。ところが「ささやき女将」機能をオンにしておいたので、極小のイヤホンから聞こえてくる。「頭が真っ白になって、どう答えたいいか判りません、って言うのよ・・・・」。

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AIに精神療法は可能か、という依頼原稿に応じて書いているうちに、私自身はずいぶん整理されて分かってきたことがある。そもそもAIセラピストにさほど高尚な機能を求めなければいいのである。さらには人間のセラピストも、いかに高度な脳の働かせ方をして治療を行っても、それをどれだけ受け取り、自らの糧にするかは常に来談者次第なのだ。すなわちセラピストは完璧である必要はさらさらなく、来談者が受け取ることができるような何かを提供できればよい。そしてそこにはなはだ不完全だがある部分については高知能なAIロボットが活躍する場があるのだろう。
更にはAIセラピストは、生身のセラピストに負けないような、あるいはそれを凌駕するような働きをしてくれる可能性がある。それが上に述べたフィードバック機能である。それは外から「どう見えるか」に観察者の主観が混じっていないことにより機能が高まる。あれほど精神分析で言われた「中立性」は、心を持たないAIにはかなわないかも知れないのである。
心を持たないAIにはもう一つの特技がある。それは投影の受け皿として最適であろうという事だ。私は摂食障害を持つクライエントさんの話を聞くことがしばしばあるが、多くが思春期の頃に誰かから言われた体形に関する心ないひとことが、食行動異常の引き金になっている。「最近ちょっと○○じゃない?」という,体型に関する心ない一言がトラウマのように胸に突き刺さり、過剰なダイエットが始まったという話をよく聞くのだ。しかしクライエントのBMIを静かに数値で伝えるAIセラピストは、少なくとも同じような意味でのトラウマを与える可能性はかなり低くなるだろう。
結局「AIには人間にとても及ばないが、部分的にはセラピスト機能を担えるようになるかもしれない」という最初のトーンとはずいぶん違ったものになった。AIにはAIの強みがあり、それは生きた療法家には決して果たすことのできない鏡の機能というわけである。しかしそれでも生身の人間のセラピストにしかできないこともたくさんあるはずだ。いや、絶対そうでなくては困る! 今度はそちらの方を真剣に考えなくてはいけなくなりそうである。