2019年3月6日水曜日

解離の心理療法 推敲 26



第8章 治療による変化とその意義

1.はじめに

2-1.初期から中期の課題

解離性障害は診断の付きにくい障害ですが、その診断は精神科通院歴の早くから下されていることもあります。しかしそれに応じた心理療法が開始されない限りは、治療が始まったとは言えません。そして解離性障害の治療は、解離症状の存在、特に異なる人格状態の存在を治療者がしっかり把握し、定期的なセッションを持つことで初めて開始されるのです。このような治療者を「解離について理解した治療者」と表現することにしましょう。

解離について理解した治療者

「解離について理解した」治療者と普通の治療者とはどこが違うのでしょうか? それは非常に単純化するならば、解離症状をワザとそのふりをしているだとか、演技だとか考えない、という事です。このことは患者さんの立場から考えた場合にわかりやすくなります。治療者が解離について理解している場合、中の人格たちは、その治療者に自分の存在を信じてもらい、その前に姿を現す機会を与えられたという気持ちになります。人格たちは普段は自分が出るとおかしな目で見られる、とか演技と思われる、とか一人の人格として扱ってもらえないという懸念があります。だからその場の状況で自然に出てしまった場合を除いては、自分から人前に出る気持ちにはなかなかならないものです。しかしその彼らがその治療者の前では顔をのぞかせてみようという気持ちになります。もちろんそれは強制された形でも、その治療者に義理立てするためでもありません。彼らは再び誤解され、傷つくことを非常に恐れています。できれば中で安全に過ごしたいとも思うかもしれません。しかし「この治療者なら自分のことをわかってくれるかもしれない」、という気を起こさせるようなスタンスや物腰をそのような治療者は示すでしょう。そしてそのような治療者との出会いがあり、初めて治療初期に入るといえるでしょう。


解離には理不尽ながら連帯責任の原則がある

解離の治療を始めた患者さんにとって最初に理解するべきことは、自分たちの世界がどのように構成され、それが目の前の治療者を含めた現実の社会とどのような関係を持つかについてです。そしてその上で次のような前提を受け入れることから始まります。それは解離性障害の人格たちは「連帯責任」を取る必要があるということです。解離性障害の患者さんの特徴の一つとして、ほかの人格の振る舞いに対して、しばしば傍観者的になったり、「他人事扱い」することが挙げられます。例えばメールなどでも、別人格に来たと思われるメールは関心を示さずにスルーしてしまったり、関心を持たなかったりということがよくあります。しかしそれでは不都合な場合がいくらでも起きてしまいます。治療初期に患者さんが直面するのは、別人格はたとえ他人でも、周囲も、社会もそうは扱ってくれない、という、ある意味では厳しく、理不尽な現実です。Aさんにとっては、別人格Bさんの起こした振る舞いについて責任が問われるということは受け入れなくてはならない現実です。もちろんBさんの行ったことに対してAさんは全く、あるいはほとんど覚えていないとすれば、その責任を取らされることにはAさんは不満を覚えて当然ですし、確かに理屈に合わないことでしょう。しかし現在の法律では異なる人格の振る舞いに対して、それぞれの人格にのみ責任を負わせるような法体系は世界中どこを探してもありません。そして「連帯責任」を取らされるという現実がある以上は、それに対応するためにも、ほかの人格の振る舞いを知ることは実はとても大事になります。