2019年2月8日金曜日

解離の心理療法 推敲 6


ミナミさん(10代女性、中学生)

(中略)

2-3.親を癒すために生まれる人格
一般的に、子供は親の気持ちにとても敏感です。2-2に示したほどに親の感情がそれほど不安定ではなくても、子供は親が自分に関して望んでいることを時には過剰に読み取り、それに合わせる事で親を安心させたり、慰めたりすることがあります。そして親の期待に沿う行動を取るうちに、自らもそれを望んで行っているという感覚をある程度は持ち始めることがあります。例えば子供が引っ込み思案であることを親が心配していることを察した場合、子どもは、その期待に応えようと努力し、自分は本当は社交的で人と関わるのが好きだと思い込もうとし、そのようにふるまおうと努力をするでしょう。
このような傾向は、解離傾向を持たない子供にもある程度は見られます。子供は親の気分や感情に合わせて、いわば表と裏の顔を作り始めることになります。そして表の顔では、本当に親の望むことを自分でも望んでいると思おうとします。しかし通常はそれがうまくいかずに表と裏の使い分けが出来なくなってしまうでしょう。たとえばもともと引っ込み思案な子は社交的な振る舞いをすることを非常にストレスに感じ、結局やめてしまうかもしれません。
精神分析家のドナルド・ウィニコットは「偽りの自己」という言葉で、この表の顔を表現しました。親の前では「偽りの自己」を保っているとき、「本当の自己」は押し隠されていますが、そこにはある種の心のエネルギーが必要になります。「偽りの自己」を保つ必要のある子はそれだけストレスを体験し、精神的に疲弊することになります。
さて解離を用いる子供の場合は、これとは少し違ったことがおきます。彼女は実際に社交的な自分を作り出すのです。ここで「作り出す」、という表現は正しくないかもしれません。彼女に別の自分を創ろう、という意識はないのが普通だからです。先ほどのAちゃんの例に見られるような、Bちゃんの登場です。交代人格のBちゃんはもともと社交的に振舞うことを得意とするでしょうし、別に無理をしているわけではありません。その点が「偽りの自己」と異なるところです。このような人格はAちゃんとはあまりに異なったふるまいをするために、専門家はこれが脳の別の部分に一つのシステムとして出来上がっているのではないかと考えていますが、ここでは詳しい話は省略しましょう。とにかくこれまでのAちゃんとは異なる、新たな人格が出来上がるわけです。私達の脳は実に不思議な力を持っているのですね。
しかしこのようなBちゃんの登場は不都合な事情を招くことも少なくありません。AちゃんはBちゃんが登場している間、心の中に閉じこもっています。時にはBちゃんの振る舞いをモニター越しに見ているような体験をし、また時にはその間眠っていてまったく覚えていないということもあります。親の前ではBちゃんが主として振舞うとしても、Aちゃんはその心や脳の「主」であり、それを使い慣れています。時々どちらが出てきたらいいかわからなくなってしまうこともあります。またAちゃんが母親の表情ひとつからその欲していることを読み取るとすれば、おそらくそのほかの人の表情も敏感に読み取り、それに合わせて新たな人格が生まれる可能性もあります。Aちゃんにとってとても重要で、頼れるべき存在であればあるほど、その人に合わせて、その人用の人格が出来上がってしまう可能性も少なくありません。
このように考えると解離性障害を持つ患者さんが通常非常に多くの別人格の存在を報告するという事情も理解できます。多くの人との共存のために内側の世界は分割され、それぞれの自己の領域が互いに干渉し合うことなく、必要な時に相手とコンタクトが取れるような状態に形作られていくと考えられます。DIDの患者さんがその内界について、複数階立ての家屋として図示したり、「アリの巣のよう」などと表現したりするのも、内部における人格たちの共生状態を視覚的・直感的に表したものとみることができます。
患者さんの内部にいる人格たちは、おそらくその多くが一時的に現れては消えていくのでしょう。ある友達に合わせるために人格が出来ても、その友達と会わなくなってしまえば、それは消えていくでしょう。それは私たちが日常の出来事の多くを忘れてしまうのと同じです。しかしいくつかの人格は、相手と会うごとに何度も登場し、そのたびに経験値を増やし、記憶を蓄積し、ひとり人格として成長していくでしょう。するとDIDの様相を示すようになります。それぞれの人格は同じような場面で他の人格とは正反対の行動を取ることもあるので、周囲の人々も、また当人も非常に混乱します。この段階で彼らの障害は自他ともに認識されるようになり、自ら治療を求めることもあれば、周囲の手で治療の場に連れてこられることも多くなります。患者さんの適応の破綻は、内部の共生状態が破綻しかけているという警告ともいえるでしょう。