2018年11月6日火曜日

パーソナリティ障害はまだ・・・ 21


ということでまだTB(Ted Bundy) について読んでいるが、私はよくわからなくなってきている。作者の Ann Rule はごく普通の、むしろ品行方正だが怪しげのあるTBについて描くが、彼がいかに普通の人かがわかる。物語は彼の普通ぶりを表現しつつ進む。作者がTBと一緒にいのちの電話の仕事をし、お互いのチームワークもよく、人助けをした話。彼は人を殺したかもしれないが、「人の命を救ってもいる」と彼女は書く。TBはあるおばあさんの内に住み着き、好かれ、いい関係を結ぶ。誕生日には花を忘れないという細やかさを見せ、親密な関係を結ぶ。時々嘘をついたり盗みを働いたりするが、人の命を殺めたりという様なこととは程遠い、ちょい悪程度で済んでいる。
とにかく500ページほどもある大著なのだが、ようやく三分の一くらいまで進んだところであるところから不可解な殺人事件が勃発するという話になる。そしていろいろな状況証拠からTBが犯人ということになって行くのだが、それでも時々Ann Rule に電話をして会いに来る。それは昔から知っているあのTBである・・・。
この本を読んで隔靴掻痒感があるのは、事件を起こしたのちに登場するTBは、徹底的に事件への関与を否認し、無実を訴えるようになることだ。物書きでもある主人公に対して話を持ちかけるTBは、「自分のことを本に書いてほしい。そして自分がいかに普通な人間かを描いて、無実の罪を晴らしてほしい」となる。しかしそれでいていくつも報道され、本格的な逮捕が間近に迫っているTBは、シラを切り続ける。事件の核心部分については、話したがらないし、知らぬ存ぜぬの一点張り。しかしAnnの目を見ようとしない。「どうしてあなたは無実の罪を晴らすために、うそ発見器に積極的にかからないの?」というと、TBは「弁護士が、それをするべきではない、というんだよ」とごまかす。つまりTBは明らかに自分が犯した行為について自覚していて、しかも徹底してシラを切る。どこかの政府の役人と全く同じである。「記憶にありません」「フェイクニュースだ!」という対応である。私たちが一番知りたいような内容、つまり「実は…やっちゃったんだよ。なんてバカだったんだろう?」などの話は出てこないのである。
もちろんだからこそサイコパスなんだ、と言うことは出来る。こういう人たちがサイコパスなのだ。でも人の痛みをわからないであろうはずのTBは、あまりに普通のことに反応し、傷つき、また優しさを示す。人間の頭に鉈を振り下ろすTBと、いのちの電話の向こう側にいる人の気持ちを汲んで話を聞き続けるTBは共存しているようなのだ。そしてこれはKevin Duttonの本にあった、「人助けの好きなサイコパス」につながるのだ。おそらくTBは困っている人がいたら手を貸すタイプだろう。(実際には彼は手足が不自由な人間を装って、多くの犠牲者を誘い込んだのであるが。)