2018年10月6日土曜日

パーソナリティ障害はまだ・・・ 8


私が個人的に体験したのは、BPDに関する捉え方の変化である。臨床を続けていくうちにあれほど私を魅了したBPDの概念に私は疑いを持つようになった。第一トラウマの患者さんに対するBPDのラべリングは明らかに行き過ぎの感を強くした。治療者側に手のかかる患者さんにBPDという診断を下すというのも目に付くようになった。そうしてもう一つ、ボーダーさん的な振る舞いをする人の一部はそれが継続し、一部はそれを卒業していった。ボーダーさんの一部は人生の一時期それらしい振る舞いをするものの、それらしさが影をひそめることが少なくないのである。ある方の場合、アクティングアウトと軽躁期が重なっていることが後から理解されたりした。そこでガンダーソン、ザナリー二らの研究、つまり数年後に大多数のボーダーさんは診断基準を満たさなくなるという研究を知り、やっぱり、ということになった。
NPDについては後天性のもの、いわゆるhubris syndrome ヒューブリス症候群(傲慢症候群)として知られるようなもの、社会で一定の地位を得ることで起きてくる状態が知られるようになり、それは私の「自己愛は制限するものがなければ肥大していく」(「自己愛の風船説」)とも重なった。さらにはいわゆる反社会性パーソナリティについての最近の研究、実は社会の成功者の大多数がこれに該当するのではないか、という研究が知られるようになった。つまり主だったPDは再考され、元の姿を保たなくなってきているのだ。PDっていったいなんだ? 従来のPDは自ら脱構築されているようではないか。こういう現象が面白いのだ。いったんは皆に認められ、その存在を疑わなくなった考え方が根本的に問い直されるという現象は実に面白い。謎が深まるというのは一種の快感である。