2018年6月17日日曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 26

19章 精神分析と倫理

初出:精神療法の倫理 「臨床精神医学」第471月号(2018)

はじめに
精神分析療法における倫理の問題は極めて重要である。それは臨床家としての私達の活動の隅々にまで関係してくる。本章ではこの倫理の問題について論じたい。
まず倫理について考える素材として、簡単な事例を挙げることから始めたい。

ある夏の暑い日、汗だくになった30歳代の男性の患者が、心理療法のセッションに訪れた。彼は面談室に入るなり、近くのコンビニで買った二本のミネラルウォーターのペットボトルを袋から取り出して、・・・(以下省略)

このような反応は、特に駆け出しの治療者にはありがちであろう。そこで次のように問うてみよう。この治療者の行動は倫理的だったのだろうか? 
 もちろんこの問いに正解はないし、この治療者の行動の是非を論じることが本稿の目的でもない。ここで指摘しておきたいのは、この治療者の行動に関連した倫理性を問う際には、大きく分けて二つの考え方があり、その一方を治療者である私たちは忘れがちだということである。それらの二つとは、
    「治療者としてすべきこと(してはならないこと)」という考えまたは原則に従った行動だったか?
     患者の気持ちを汲み、それに寄り添う行動だったか?
である。そして筆者が長年スーパービジョンを行った体験から感じるのは、このうちに関連した懸念が治療者の意識レベルでの関心のかなりの部分を占めているということである。「治療者として正しくふるまっているのか」という懸念は、おそらく訓練途上にある治療者の頭の中には常にあろう。彼らはスーパーバイザーに治療の内容を報告する際に、「それは治療者としてすべきではありませんね」と言われることを恐れているかもしれない。それはすなわち上のへの懸念を促すことになり、それに従った場合は、事例の治療者のように「面談室での飲食は禁止」という治療構造は守られるだろう。しかしそれは同時にを検討する機会を奪うことになりかねない。そしてその結果としてミネラルウォーターを拒まれた患者は、その好意を無視されていたたまれない気持ちになってしまう可能性も生じるのである。
(以下省略)