2016年12月9日金曜日

催眠 ⑤

おそらくもっとも無害であり、おそらく極めて価値の高いのが瞑想である

世の中にはあらゆる種類の瞑想があふれています。楽な姿勢をして目をつぶる、ということぐらいしか共通点がないのではないでしょうか?一つのやり方はマインドワンダリングを防止して、一つのこと以外は考えないという方針です。これも大いにあり、だと思います。でも私は瞑想中に考えることは決めています。それは自分がいかに余計なことに期待をし、それを裏切られることによりいかに苦痛や怒りを覚えているかについて考えるのです。私たちの日常的な苦痛の多くは余計な期待に由来するというのが私の信念です。すると瞑想において考えるのは、自分に関するあらゆるものを受け入れることに尽きると思います。頭に浮かぶものすべてを受け入れる作業。これが私がお奨めする瞑想ですが、その中でも慈悲の瞑想という瞑想がこれに近いと言えます。


<慈悲の瞑想の例(ネットより)>


私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように 
私に悟りの光が現れますように 
私は幸せでありますように(3回)


私の親しい人々が幸せでありますように 
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように 
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように 
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように 
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)


生きとし生けるものが幸せでありますように 
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように 
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように 
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)