フェレンチの先駆性の話だった。最近はすっかりフェレンチ三昧、フロイト三昧である。あとは学生さんの論文読み。これが結構なボリュームである。
それらの研究が示すのは、Ferenczi の驚くべき先見の明であり、後のトラウマや解離に関する理論を事実上先取りしていたという事実である(Aron, Harris (eds.) The Legacy Of Sandor
Ferenczi (1993). Editors: Lewis Aron & Adrienne Harris.Routledge)Ferencziの業績の再評価は、そのまま精神分析における外傷理論の再評価を表しているとも考えられるであろう。
Ferenczi の理論の先駆性を示す概念の一つに、「攻撃者との同一化」がある。この概念は、一般には Anna Freud(1936) が提出したと理解されることが多い。彼女の「自我と防衛機制」(A.Freud,1936)に防衛の機制一つとして記載されている同概念は、「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する。(p. 113).」と説明される。しかしこれはかなり誤解を招き、そもそも Ferenczi
の考えとは大きく異なったものである(Frankel, 2002)。Ferenczi は、この概念の意味するところとして、「子供が攻撃者になり替わる」とは言っていない。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして自動的に起きる服従なのである。
Freud, A. (1936) The Ego and the Mechanisms of Defense, International Universities Press.(アンナ・フロイト著作集 2, 岩崎学術出版社、1998年)
Frankel , J (2002) Exploring Ferenczi's Concept of Identification with the Aggressor: Its Role in Trauma, Everyday Life, and the Therapeutic Relationship. Psychoanalytic Dialogues, 12:101-139.
Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」を少し追ってみよう。
Freud, A. (1936) The Ego and the Mechanisms of Defense, International Universities Press.(アンナ・フロイト著作集 2, 岩崎学術出版社、1998年)
Frankel , J (2002) Exploring Ferenczi's Concept of Identification with the Aggressor: Its Role in Trauma, Everyday Life, and the Therapeutic Relationship. Psychoanalytic Dialogues, 12:101-139.
Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」を少し追ってみよう。
Ferenczi, S. (1933/1949). Confusion of tongues between the adult and the
child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230. (フェレンツィ「おとなと子供の間の言葉の混乱」(「精神分析への最後の貢献―フェレンツィ後期著作集― 森茂起ほか訳 岩崎学術出版社、2007年 に所収」。
「彼らの最初の衝動はこうでしょう。拒絶、憎しみ、嫌悪、精一杯の防衛。『ちがう、違う、欲しいのはこれではない、激しすぎる、苦しい』といったたぐいのものが直後の反応でしょう。恐ろしい不安によって麻痺していなければ、です。子どもは、身体的にも道徳的にも絶望を感じ、彼らの人格は、せめて思考のなかで抵抗するにも十分な堅固さをまだ持ち合わせていないので、大人の圧倒する力と権威が彼らを沈黙させ感覚を奪ってしまいます。ところが同じ不安がある頂点にまで達すると、攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に完全に同一化させます。同一化によって、いわば攻撃者の取り入れによって、攻撃者は外的現実としては消えてしまい、心の外部ではなく内部に位置づけられます。」(p.144-145)
解離の理論との関連
このようにトラウマの犠牲になった子供はむしろそれに服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになる。Ferenczi はこの機制を特に解離の機制に限定して述べたわけではないが、多重人格を示す症例の場合に、この攻撃者との同一化が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015)
(岡野憲一郎:黒幕人格の成り立ち、解離トラウマ研究会、2015年12月20日、市谷)
精神分析におけるトラウマ理論を論じるうえで、近年目とみに論じられることの多い解離に関する理論に触れておく必要があるだろう。その先導者ともいえるDonnel Stern やPhillip Bromberg の著書は邦訳も入手可能である(Stern, D.,2010,
Bromberg, 2011)。
Stern, D.: Partners in Thought: Working
with Unformulated Experience, Dissociation, and Enactment (Psychoanalysis in a
New Key Book Series, Routledge., 2010.ドンネル・スターン (著), 一丸藤太郎 (翻訳), 小松貴弘 (翻訳)「精神分析における解離とエナクトメント: 対人関係精神分析の核心」創元社、2014年
Bromberg, P.: The Shadow of the Tsunami: and the Growth of the Relational Mind Routledge, 2011. フィリップ・ブロンバーグ (著)、吾妻壮ほか(訳)「関係するこころ」誠信書房、2014年.
Bromberg によれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離に関しては、トラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Bromberg, P.: The Shadow of the Tsunami: and the Growth of the Relational Mind Routledge, 2011. フィリップ・ブロンバーグ (著)、吾妻壮ほか(訳)「関係するこころ」誠信書房、2014年.
Bromberg によれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離に関しては、トラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Bromberg はまたトラウマを発達上のいわば「連続体」としてのそれ(発達トラウマ)としてもとらえる。この発達トラウマはまた、発達早期に親から受け入れられ、必要とされるという体験のそれが欠如することにも関係する。彼はこのトラウマtraumaを、性的虐待や暴力などに代表される、大文字のトラウマ Trauma と区別する。この発達との関連でブロンバークはまた、解離とメンタライゼーションとの関係についても論じ、Peter Fonagy や John Allen などの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。
このように Bromberg の立場は基本的にはトラウマモデル、ないしは欠損モデルのそれであり、そして彼が主として依拠するのは HS.Sullivan の理論である。すなわち解離において生じるのが
Sullivan の概念化した「私でない自己―状態 not-me」なのである。その意味で、Bromberg ブロンバーグの彼の解離理論はトラウマ理論とサリバンの理論との合体というニュアンスがある。
Stern や Bromberg の解離の議論に特徴的なのは、その機制をエナクトメントの概念と絡めて論じる点である。エナクトメントは二者的な解離プロセスであり、その解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そしてそれを治療的に扱う分析状況としてBrombergが提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期のトラウマを、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性なのである。Brombergはまた治療技法のひとつとしてFreudの「自由にただよう注意」に注目する。これはFreudが「強制的な技法」ではない自由な技法として提唱したが、患者の言葉の意味を見出すという作業にとってかわることにより、後世の分析家たちにとってはその目的を果たさなかったという。しかし関係精神分析的な「聞き方」とは、「絶えずシフトしていく多重のパースペクティブ」に調律することで、それは両者によるエナクトメントにも向けられるという。
Brombergの解離理論は、すでに新しい精神分析の行先を見越し、そこには解離と心の理論、愛着、脳科学などがキー概念となることを提唱していることである。ただ彼が扱う解離は精神医学的な「解離性障害」とは若干異なるということだろうか。ここで広義の解離と狭義の解離を区別すること、ないしは「精神分析的な解離」というタームを導入する必要が生じるかもしれないであろう。