2015年12月9日水曜日

精神分析技法という観点から倫理問題を考える(4)


関係性精神分析における技法と倫理性                                    
以上の議論を踏まえたうえで、現代的な精神分析理論、特に関係精神分析における技法論について論じてみよう。
 精神分析はこの半世紀の間に実に様々な技法論を生み、多種多様な理論的立場が提唱されている。このことは、技法論の一元的なテキストを編むことをますます難しくしているといっていいだろう。また立場によっては技法の持つ意義に対する根本的な疑問すら唱えられている。たとえばいわゆる間主観性理論の立場や関係精神分析においては、技法を越えた治療者と患者の関係性の持つ治療的な意義に重点が置かれる傾向にある。そのような空気の中で、精神分析的な技法論という大上段に構えた著作は影を潜め、精神分析的なかかわりの持つ技法以外の側面が強調されるようになったのである。
  現在の精神分析においては、一般に分析状況における技法を超えた治療者と患者のかかわりや出会いの重要性がますます強調されるようになってきている。ボストングループではそれを、暗黙の関係性の了解 implicit relational knowing, 出会いのモーメントmoment of meeting などと称している( 14 )Renik (13) によれば、治療関係はいつも、目隠しをして飛行をしているようなもので、何が有益だったかは、あとになってわかるようなものであるとする。
 これらの議論は精神分析が技法を学ぶことによりマスターされるといった見方から、より臨床経験を積み、また自らの教育分析の経験を役立てることの意義が問われるといってよいであろう。それは先ほどの分類で言えば「基本原則」からのますますの乖離であり、またそれぞれの立場からの経験値の蓄積、すなわち「経験則」の積み重ねということも出来る。
倫理性の問題は、関係精神分析における関係論そのものの基本概念ともつながる。関係精神分析の立場にあるHoffman, I 7)によれば、技法について論じることは、治療における弁証法的な両面の一方に目を注ぐことにすぎないことになる。彼によれば精神分析家の活動には、「技法的な熟練」という儀式的な側面と、「特殊な種類の愛情や肯定」という自発的な側面との弁証法が成立しているという。この理論に従えば、技法は、分析家の行う患者とのかかわりの一部を占めるに過ぎないことになる。
 彼の主張によれば、分析家が技法を用いることに伴う権威主義は、もう一つの側面、すなわち分析家もまた患者と同じく死すべき運命にあり、患者と同じ人間である、というもう一つの側面を併せ持つことにより意味があるという。その意味で、分析家のかかわりは、結局は患者が幼少時に持つ事が出来なかった母親との関係の代用に過ぎないという側面を持つことになる。彼の文章を引用しよう。

しかし私たちは分析家が限られた予定時間内の料金による関係の中で、早期の情緒的な剥奪を補ってくれることをどの程度期待出来るのであろうか? それは実際に、現実の世界における誰かとの良好で親密な関係の、まさに不出来な代用でしかないようであり、ましてや神との信頼すべき関係のようなものではないのは言うまでもない。そして確かに精神分析には、支払う側の方が支払われる側よりも援助を必要としかつ傷つきやすいという側面があり、それは最適とは言えず、有害で搾取的でさえあるという言い表し方も無理からぬ側面がある(中略)。しかしその不満で頭がいっぱいになっている患者は、おそらく分析の外で親密な関係を築く上でも同様の不満を持つことで、ハンディキャップを負っているであろう。結局それらの親密な関係も、両親像との早期の理想的な結びつきの空想にはかなわない限り、不出来な代用として経験されるであろう。こうして分析的な関係の持つ目を覆うべき限界にもかかわらず、その価値を評価して高めていく方法を見つけられる患者は、他の関係性についても、それを受け入れて最大限に活用したりするためのモデルを作り出していくであろう。(ホフマン「儀式と自発性」第一章)

つまり精神分析における治療者患者関係は、それ自体が、分析家の権威主義に抗する形での平等主義を内在化したものとして説明される。分析家の態度が権威により引っ張られる傾向にある分だけ、分析家自身の持つ倫理性はより大きな意味を持つということになる。ただしこのことは、分析家の技法を用いる態度を否定するものではない。分析家という専門技能を有し、それを用いることに伴う権威は、むしろ分析家の人間としての側面が治療的な意味を持つためには必要な要素と言えるだろう。

最後に
精神分析技法という観点から倫理問題を考え、最後に関係精神分析の立場を論じた。技法という点からは、それを便宜的に「基本原則」と「経験則」にわけて論じた。最近の流れの中で尊重されるようになった倫理原則に鑑みながらこれらの原則について考えた場合、少なくとも「基本原則」に関しては、それを相対化したものを考え直す必要があるという点について述べた。他方の「経験則」についてはむしろ倫理原則に沿う形で今後の発展が考えられるであろう。そして関係精神分析の趣旨とおおむね一致していると考えることができるのだ。

参考文献
(1) Fenichel, O.: Problems of Psychoanalytic Technique. AlbanyPsychoanalytic Quarterly., 1941. 
(2) Freud, S.: Recommendations to Physicians practicing psycho-analysis. S.E.12., 1912. 
(小此木啓吾訳 : 分析医に対する分析治療上の注意. 著作集 第9, 1983)
(3) Freud, S. : On Beginning The Treatment. S. E.12, 1913. (小此木啓吾訳 : 分析治療の開始について.  著作集 第9, 1983)
(4) Freud, S.: Remembering, repeating and working-through. SE, 12, 1914
(小此木啓吾訳:想起,反復,徹底操作 フロイト著作集 第6巻,1970年)
(5) Freud, S.: Zur Technik der Psychoanalyse und zur Metapsychologie. Internationaler Psychoanalytischer, 1924.
(6) Greenson, R.: The Technique and Practice of Psychoanalysis. Vol. 1. New York: International Universities Press, 1967.
(7) Hoffman, I.Z.: Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London, 1998.
(8) Langs, R.: The technique of psychoanalytic psychotherapy: volume I ,II Jason Aronson, 1977, 1989.
(9) B.ロー著,北野喜良,中澤英之,小宮良輔監訳:医療の倫理ジレンマ.西村書店, 2003Lo, B: Resolving Ethical Dilemmas: A Guide for Clinicians Lippincott Williams & Wilkins; Third edition, 2005.
(10) Menninger, K. Theory of Psychoanalytic Technique. Basic Books, New York, 1959.
(11) 小此木、その他編: 精神分析セミナーIII フロイトの治療技法論. 岩崎学術出版社,1983年.
(12) Renick, O.: Practical Psychoanalysis for Therapists and Patients. Other press, 2006.
(13) スターンD.N.著 奥寺崇 監訳/津島豊美訳 プレゼントモーメント 精神療法と日常生活における現在の瞬間 Stern, DNThe Present Moment in Psychotherapy and Everyday Life. W. Norton & Company, 2004.