2015年5月15日金曜日

精神医学からみた暴力(推敲後)6

 以上は暴力的な犯罪者に関する一般的な治療論であるが、私は抑止が外れる4つの経路という文脈からいくつかの提言がある。それは少なくとも1.(怨恨による、あるいは仕返しによる場合)に関しては、治療的な介入の余地が残されているということだ。これも何度も私が例に出す7年前の秋葉原事件の犯人の場合に当てはまるのだが、彼が体験したのは誰も彼のスレッドに書き込みをしてくれない、という激しい失望だった。それが世間に対する恨みを増したわけだが、それが一時的にでも癒されるために必要であったのは、それを慰めてくれる人、コフートの言う自己対象的な機能を果たす存在だったのだ。それにより少しでも彼らの孤立無援さや自暴自棄を遅らせることができるなら、それは暴力行為の暴発を防ぐことになったかもしれない。もちろん彼らの孤独を癒すことはその場しのぎでしかないかもしれない。生育環境から生じた恨みや極端な自己価値観の低さは、一時的な治療的介入で癒せるものではないことは、経験ある臨床家であれば十分熟知していることである。だから私はこれが根本的な治療とはいえないのは理解しているつもりである。でもそれで少しでもこれらの人々の暴力の暴発を遅らせることが出来る可能性は残されていると思う。
 残りの234はどうか?このうち3.に関してはその治療は今のところ絶望的といわざるを得ない。かつて米国で特定の性的志向について、特に同性愛傾向について、それを一種の障害とみなし、行動療法等により「治療」や「改善」を試みるという試みがことごとく失敗に終わったことは、ここに述べるまでもないであろう。ただしその手立てが全くないというわけではない。実際の去勢はさすがに倫理的な問題があるにしても、科学的な去勢といって、薬物により男性ホルモンを低減させるということで、若干の効果がみられることがある。私にも米国時代に経験があるが、人を縛って快感を得る思春期の患者に、黄体ホルモンを打った。毎週結構な量のホルモン注射になり、おかげでテストステロンは限りなく低減したが、それでも病棟でこっそりと他の患者を縛っていたということが発覚してガッカリしたしたという思い出がある。
 もう一つこれは教科書にはあまり書いていない(といっても調べていないが)と思うが、SSRIという新しい抗鬱剤は、性欲減退という副作用がある。これも米国での話だが、ある露出癖のあるラティノの中年患者に、うつではなかったがプロザック(米国では一昔は代表的だったSSRI,日本には入ってきていない)を飲んでもらった。しばらくするとあまり露出に興味をなくして、「もうどうでもよくなりました」と、頼もしい証言を聞いた。少しは役に立つかもしれない。幸いなことに性的快感を伴う他害行為は、男性が年を取るにしたがって男性ホルモンが落ちてくるにつれて、明らかにその勢いが収まっていくということは観察されている。
4に関しては、脳の器質的な問題を考えるしかない。これに関しては精神科領域では主として抗てんかん薬やリチウム、抗精神病薬などが用いられてきた。そのほか、オキシトシンでも効果が期待できるかもしれない。オキシトシンは扁桃核を抑制する働きがあり、その分カッとなって暴力行為に及ぶという可能性は低くなるのではないか?

さて問題は2.である。これはいわゆる自閉症スペクトラムのごく一部を除けば、サイコパスや情性欠如と呼ばれる状態であり、いわば暴力的な犯罪者のコアの部分にあたるであろうが、この治療の試みに関する従来の悲観的な立場については以上に述べたとおりである。しかし最近はそこに新たな治療の可能性が見出されるようになってきているという。
 以下は「入門 犯罪心理学 原田隆之著」を参考にするが、先に紹介した治療悲観論の代表ともいえるマーチンソンの見解は誤りであるということがわかったという。彼が治療と見なしていたものの中には、保護観察、刑罰、刑務所収容までもが含まれていて、改めて治療的なものだけを選んで調査をした結果、約半数に治療効果がみられていることがわかったという。そしてその後マーチンソンは自説を撤回し、自殺をしてしまったという。そしてその後リプセイという研究者により、犯罪者の治療についての研究がまとめられたが、それはそれまでの悲観論を大きく変えるものであった。
このリプセイの研究によれば、その主張は以下の3点にまとめられるという。1.処罰は再犯リスクを抑制しない。2.治療は確実に再犯率を低下させる。3.治療の種類によって効果が異なる。
1.については、拘禁や保護観察は逆にわずかだが再犯率を上げてしまうという。これについては詳しくは省略するが、厳しく罰すれば犯罪を抑えられるという、一見常識的な考え方が通用しないというのは驚きでもあるし興味深い。(こういうことがあるからEBMは大切なのである。ただしそのEBMもデータの改ざんが頻繁に問題になってくるけれどね。) 2.も驚きである。適切な治療を行った場合の再犯率が35%、行わなかった場合が65%であるというのだ。そして3.適切な治療とは、認知行動療法、行動療法であり、それ以外の療法、たとえば精神分析やパーソンセンタード・セラピーなどでは再犯率にほとんど影響はなかったという。また治療を行うなら拘禁下よりも社会で行う方がいいとも述べられている。
アンドリューズとホンダという研究者はこれらの理論を踏まえて「RNR3原則」というものを導いている。それらはリスク原則、ニーズ原則、反応性原則だということだが、これらが守られないと、犯罪者に対する効果は台無しになるどころか、再犯率は少し増えるという。
まずリスク原則。再犯率が軽い人に、インテンシブな治療をするな、ということだ。そうすることで費用もかさむし、再犯率も上がると伝えている。ウィスコンシン矯正局の研究では、低リスクの人に低強度の治療をしたところが再犯率は3%だったが、高強度の治療にしたところ、それが10%に跳ね上ったという。ちなみに低い度の治療とは、自習とか視聴覚教材を用いたもの、高強度とは11の面接などだという。刑務所などでは模範囚には手厚い「治療」の場が提供される一方では、反抗的な囚人は放っておかれるということが起きているという。その逆を行かなくてはならない、というわけである。
ニーズ原則については、これを説明するためには犯罪にまつわるセントラルエイトの記述が必要だ。犯罪にはいくつものリスクファクターがあるが、アンドリューズらはそれを8つに絞った。①反社会的認知、②敵意帰属バイアス、③性犯罪者の認知のゆがみ、④反社会的交友関係、⑤家庭内の問題、⑥教育、職業上の問題、⑦物質濫用、⑧余暇使用であるという。そのうちたとえば⑦の問題しかない人には、それに集中した治療、つまり薬物乱用への対処を行い、同じように、④、つまり悪い連中とつるんでいることが問題な人にはそれに対する治療を行うという意味だ。

反応性原則とは要するに、効果があることをせよ、効果がないことをしても仕方がない、というもので、そこには効果がないものとして、アニマルセラピーや精神分析が挙げられている。受刑者が動物に触れるのは確かに情操教育に効果的と直感的に感じるが、再犯率には関係がない。そのような直観に従った「治療」を私たちはしがちであり、真に効果的な治療、すなわち認知行動療法を行うべきだ、と述べている。