2015年4月6日月曜日

精神分析と解離(2)

なんか、この話面白くなってきたな。だって考えてみると、ブロイアーこそ最初の解離論者だったのだから。フロイトとジャネどころか、その前にあったのは、フロイトとブロイアーだったのだ。あまりこの点を私は考えていなかったのだ。

SE7巻のドラの症例(P27)には、フロイトの非常に強い口調が聞かれる。口語訳で訳してみよう。
だいたいね、類催眠状態というのはトラウマの患者に見られ、それ以降の異常心理の根底にあるように考えられているようだけれど、私はその考えは捨てたんだよ。もし[ブロイアーとの]共著が問題となるのであれば、仕事の分担をここで明らかにするのがいいだろう。この場を借りて言いたいのだが、「類催眠状態」という仮説は、私たちの著作の中心部分だというように批評者は考える傾向にあるようだけれど、ここは完全にブロイアーのイニシャティブによるものだよ。私はそのような用語を使うのは、無駄だし誤解を生む superfulous and misleading と言いたいね。なぜならそれはヒステリーの症状の生成に伴う心理プロセスの性質に関して、その問題の連続性を絶ってしまうからだ。It interrupts the continuity of the problem as to the neture of the psychological process accompanying the formation of hysterical symptoms.

フロイトとブロイアーの確執については、北山先生のグループが訳したストレイチーによる注釈を読むとすごくうまくまとめてある。(人文書院 フロイト全著作解説 北山ほか訳。)
それによると、フロイトの頭の中では、ヒステリーが「類催眠状態か防衛神経症か」ということで揺れていたという。と言うよりはヒステリー研究を書いている間から、どうもおかしい、という気になっていて、そのうちどんどん「絶対違う!」となったのだ。フロイトはヒステリー研究の中では、カタリーナの症例とエリザベートでは、「まあ、類催眠ということでいいか」という雰囲気だった。フロイトにとっては、やはりヒステリーは防衛ということなのだが、いったいどうしてそれにこだわったのか?それが結局リビドーということだという。
これだけではよくわからず、結局決め手は「ヒステリー研究」の最終章らしいが、やはりフロイトは、理論のために観察を捨てた、という印象がどうしてもあるなあ。