2014年4月4日金曜日

続・解離の治療論(21)


 このことは、精神分析的な死の本能の概念との関連性を思わせる。どうして個人の中にあたかも純粋に本人(主人格)の破壊や死を望む部分が存在するのであろうか。それは実際に人の心に本能として存在する死への衝動を表しているのであろうか? 黒幕人格の言動が時には明白に主人格を排除しようとしているという意図を思わせる以上、それは性への衝動とは全く異なる由来を持った本能的なものという印象を受ける。
 しかし純粋にそうは考えられない根拠がある。もし生の本能と死の本能が、二大本能として通常の人間に標準装備されているとしたら、健常な人間の中にも黒幕人格は観察されておかしくないだろう。しかし黒幕人格が蠢くケースほとんどのケースにおいて、幼少時のトラウマが関係していると考えざるを得ないのである。 
黒幕人格が伝えるメッセージには、幼少時に体験した痛みや恐れの影が濃厚に感じられる。それは当人への虐待や加害行為という明白なトラウマという形を必ずしもとらない。それは例えばあからさま性的な暴行を加えてきた親や親戚の男性であったりする。しかし幼少時に自分を厳しく叱りつけ、懲罰を与えた父親のイメージを伴っていたりもする。

ただし興味深いのは、その黒幕人格は通常は匿名化されているということだ。このことは子供人格の匿名性ともつながる問題だが、黒幕人格には名前がないか、治療者との心のつながりを一切遮断して素性を伝えようとしないという傾向がある。どうして黒幕人格が過去の外傷体験に由来し、それが分析概念でいうところの内在化の結果であるならば、どうして匿名的なのであろうか?