2012年10月16日火曜日

第12章 サバン症候群が示す脳の宇宙 (1)

  こんな想像をしたことはないだろうか?類人猿が大脳を巨大に進化させることで、人類が生まれ、高い知性を獲得したわけだが、では人類が突然変異でさらに進化したらどうなるだろうか?大友克洋の「アキラ」に出てくるような超能力を持った新人類だろうか?
 私はそうは思わない。そんなの非現実的だ。人の能力の獲得に、その種の飛躍はないだろう。(というより超能力を私はやはり信じてはいない。)その代り一瞬にして3ケタ×3ケタの掛け算をこなし、一度読んだ本は二度と忘れなかったり…。そんな能力だったら獲得するかもしれない。それらは超人的ではあっても、私たちが暗算をしたり、暗唱したりする力の延長線上にあるからだ。いつ人類は、もう一度進化を始めるのだろうか?
   しかしこの空想は少なくとも二つの壁に突き当たる。人は事情があってこれ以上脳を大きくすることが出来ない。人間の女性の骨盤の内径は、今の大きさで赤ん坊の頭が通過するギリギリなのである。ということはこれ以上人は頭を大きくすることが解剖学的に無理だということになる。さらにもう一つの壁。一瞬にして複雑な計算をこなすだけの神経回路が本来存在しえないとしたら、初めからこんな想像は無理なのではないか?脳がいくらこれ以上進化したって、電卓には本質的になりえないとしたら。ところがこの第二の壁については、実はあり得るかもしれないと考える根拠がある。常識ではありえないような能力を示す生き証人がいる。それがサバン症候群を有する人々だ。
 私の愛読書に「なぜかれらは天才的能力を示すのか」(ダロルド・トレッフォート、高橋健次訳、草思社、1990年)という本があるが、ここには実際に3ケタ×3ケタの掛け算を即座にやってのける天才児が描かれている。彼らの特徴は、それをどのように計算しているかを人に説明できないことだ。彼らには答えが自然にわかるという。そしてこのことは、私たちの頭にも、同様のことを行えるだけの潜在能力があるという空想をいただかせる。ただ私たちはそれを抑制しているだけかもしれないのだ。とすると、まるで私たちの脳は無限の宇宙のようなものだ・・・・。
   私はサバン症候群について読むのが好きだし、その感動を伝えるためにこうして書くことも好きだが、読者の中にはそれらについて既に知っているかもしれない。たいてい次のような感じで説明されている。
「一卵性双生児のジョージとチャールズは、例えばある人の誕生日が木曜日に当たる年をすべてあげることが出来る。さらに過去あるいは未来の4万年にわたる暦の年月日と曜日を言い当てることが出来る。二人は暇さえあれば、20ケタの素数を言い合って遊んでいるが、実際には、彼らは二人とも、一ケタの足し算もできないし、数式も一切知らないのだ。もちろん紙に書いて計算することなど思いもよらない。」(「なぜかれらは天才的能力を示すのか」から。
  実は私のサバン症候群に対する関心が格段に増したのが、ダニエル・タメット氏の存在である。彼については、かつてNHKで彼についての番組があったので、見た方も多いかもしれない。彼について私はちょうど2年前のこのブログで、次のように書いている。
サバン症候群のヒーロー
実はもう一人私が期待しているアスペさんがいる。こちらはかなり有名な人で,私は彼の本を読み,ユーチューブでその実際の表情や物腰を見て気に入った人だ。彼は実に優しく穏やかな印象をあたえるが,その持つサヴァンとしての能力はとてつもない。超能力といった感じがする。ダニエル・タメット31歳。彼の自叙伝“Born on a Blue Day”は日本語で訳されている。(「ぼくには数字が風景に見える」講談社2007年)
彼は例えば数桁同士の掛け算を、いくつかの色を伴った図形同士の結合のように捉え,二つの図形が混じり合った図形の色と形がそのまま積を示しているという。実際に彼の「計算」の様子を見ていると、紙の上で指先を動かしながら図形をイメージするだけで、決して数字を扱う計算はしていない。
彼には著しいこだわりもあり,例えば毎朝食べるシリアルは,厳密に重さを計量して同じ量を食べるという。その意味で彼は立派なアスペルガー症候群なのだが,でもとても温かく繊細という印象を受ける。しかしもちろん彼の実際の人柄は知らないから、私は「期待」するのである。
実は彼の温かさと彼のホモセクシュアリティーとは関係しているように思える。米国に滞在中常に思っていたことがあるが、細やかな気遣いをする、「日本人的」な白人男性はその多くが男性のパートナーを持っていた。私は彼らの多くが好きで、親交もあった。後にタメット氏の同性愛傾向を知ったとき,彼を映像で見た時の細やかさは,それと関係していたのか,と納得がいったのである。
自分のサバン振りを雄弁に語る人は実は希少である。なぜなら大部分のサバンは同時に精神遅滞があり、コミュニケーション不能だからだ。彼はサバン症候群で生じていることを教えてくれるまたとない人でもあるのだ。
   サバン症候群がどのような問題から生じるかについては様々な仮説が設けられる一方ではその真相はつかめていない。ただし一つ重要な提案を彼がしている。それはサバンにおいては脳の中で、ある種の混線が起きているのではないか、ということだ。彼は自分自身の数学的な才能を考えるとき、それが言語野の働きや視覚野の働きとかかわっていることを自覚している。彼は数字を見たとき、その色や形が直感的に感じられるだけでなく、それを構成している素数までわかるという。(彼は素数はスベスベしていて、それ以外の数字はごつごつしているという。)そして数がいくつかの素数に分解される様子が、たとえば英単語がいくつかの部分に分かれるのと同じ感覚で生じるという。たとえば incomprehensibly が、in comprehend ible lyとに分かれる、という風に。(天才が語る サバン、アスペルガー、共感覚の世界 ダニエル・タメット 古屋美登里訳 講談社 2011年より。これも非常に面白い本である。)
   そして言う。「この仮説を裏づけるいくつかの証拠がる。第一に、言語(左前頭葉)と数字(左頭頂葉)のために特化していると研究者が指摘している脳の領域が、左脳内で隣接している点だ。左頭頂葉には、連続した論理的な空間把握能力も含まれていて、これは計算するときに使われるが、左頭頂葉、特にブローカ野は、順序だった統語的文章を作る能力をつかさどっているといわれている。つまり、様々な計算をするときに脳の中で数字の形を切り分けて処理するというぼくの能力は、言葉と語句を意味のある文章に構築処理することとまったく同じなのだ。(167ページ)