2012年10月14日日曜日

第11章 愛着と脳科学 (3)


新皮質と愛着
愛着との関係で最後に登場するのは、新皮質についてであり、これはマクリーンの第三番目の脳に相当する。ただし読者としては当然次のような疑問を覚えるかもしれない。「動物でも愛着行動をちゃんと起こすということは、人間に特に発達している新皮質はあまり愛着には関係していないのではないか?」この答えはイエスであり、ノーである。そう述べる根拠をここに示そう。
  前章(第10章)では「無意識とは右脳か?」という問題を考えた。私たち人間や類人猿において顕著に発達している大脳新皮質は、左右半球でかなりその働きが異なる。そのうち左半球については、その存在理由はある意味ではかなり明確である。というのも人間は動物に比べてはるかに多くの情報を操ることが出来、また言語を用いることが出来る。左脳の大脳皮質の発達は人類にとってそのような意義を持っていたのだ。
 それに比べて右脳はどうか。右脳は情緒的、全体的、非言語的、直感的、関係的な機能をつかさどっている。そしてそれらの機能はおそらくより愛着に密接に関係していることが予想される。なぜなら愛着行動はまさに情緒的、非言語的、関係的だからだ。
 そこで次のような問いを立ててみる。人はこれらの大脳半球を有することで、より愛着行動を形成したり示したりすることに適しているのであろうか?答えは冒頭で述べたように、イエスでありノーなのだが、以下はその説明である。
まず大脳半球の存在は、愛着行動そのものを抑制することはないということだ。「いや人間の社会は愛着障害や育児放棄が起きているではないか」と言われるかもしれない。
しかし今年(2012年)7月に上野動物園で起きた、パンダの「シンシン」の育児放棄のことは記憶に新しい。育児放棄は動物界ではよくあることだ。種の保存の法則により厳密に従う場合には、少なくとも生存の可能性が低い子孫によりエネルギーを注ぐことは理屈に合わないことになる。だから動物園などではスタッフが子育てを放棄した親の代わりに子を育てるのに忙しいというわけである。
 人間の場合には大脳皮質という巨大なコンピューターを備えているわけだし、そこで処理できる情報は情緒的、非言語的なものも含めて多い。人間の子供を育てる為にはそのような母親の能力が役に立っているはずだ。ここは私の純粋な想像だが、人間の赤ん坊の顔を見ていると、その表情の豊かさに驚く。動物の顔を見ていても出てこない表情が顔のあらゆる表情筋を使って表される。これはそれを読み取って処理する母親の能力の高さをも反映していると考えるべきであろう。それは言葉の微妙なトーンを読み取る力もまた同様である。
しかし大脳皮質の発達は、さまざまな形で愛着の表現に抑制をかける可能性をも含む。日常臨床でしばしば患者から聞くのは、「幼いころ自分の感情を親に表現できなかった」という訴えである。言語というコミュニケーションの手段を有する人間は、それに頼りすぎて、それで表現しない部分を切り捨て、あるいは無視する危険性をも持つことになる。すると言葉で感情を伝えることが出来ない子供のさまざまな変化を、親は無視する可能性もあるだろう。子供の側の「こんなことを言っては親を心配させるのではないか?」という懸念もまた大脳皮質の産物である。その結果として自然な愛着や依存を表現できない子供がいることもまた確かであろう。
このように考えると人間の巨大な大脳皮質が愛着行動に示す影響についても、さまざまな可能性を考えなくてはならないということになる。