2012年9月3日月曜日

第1章 報酬系という宿命 (3)


報酬系における「トーン信号」と「バースト信号」

ところでこれまでは報酬系のオン、オフという大雑把な言い方をしていたが、もう少し細かい説明が必要となる。報酬系の興奮のパターンは、詳しくはトーン信号とバースト信号の二種類がある。トーン信号とは、神経細胞が自発的に発火している信号だ。神経細胞は外から何も刺激がなくても一定の頻度で発火(興奮)している。それを音に直すとちょうどダイヤルトーンのように一定の高さの音になるであろう。それに比べてバースト信号は、外からの刺激により反応して、何回かの高い振幅の信号(バースト)として表される。外からの刺激とは、例えば砂漠の向こうにオアシスが見えた、という認識だったり、実際に水を口にしたり、ということだ。トーンとバーストの波形は実際には次のような感じになる。

以下略

すると、たとえば砂漠の向こうにオアシスがある、と知ったときに、すでにこのバースト信号が起きるわけである。これが「うれしい!」「やった!」という反応なのだ。ということは、脳は水を飲んでいないうちにすでに喜んでいる!快を検出するということは実はそういうことなのである。そして実際に水を口にしたときにはまたこのバーストが起きる。これがトーン信号に乗る形で生じているのだ。ではこのトーン信号はどのような効果を持っているかと言えば、ある種の心地よさを人に与えていることになる。それは水を実際に手に入れることができなかった場合に生じることからわかる。オアシスにたどり着いたと思ったらそれが蜃気楼だったとわかったら? 実は今度はトーン信号が低下するというのだ。私たちの体験する不快や苦痛は、脳科学的にはドーパミン神経のトーン信号の低下や消失という形をとるのである。

報酬系と不快の関係

ところで報酬形について考えていくと、一つの疑問にぶつかるかもしれない。それは私たちは「報酬系がイエスというもの」以外にも反応するのではないか?つまり不快の予想や不安に駆られても行動を起こすのではないか、ということである。
 確かにこれまでの砂漠の向こうのオアシス、という例は快楽的な面しか見ていなかった。でもちょっと思考実験をしてみてほしい。オアシスに今行き着かなければ、体力を奪われて水を得られないかもしれない、という状況を考えるのだ。するとオアシスに向かって砂漠を歩いていくという行動はたちまち二つの動因の混合となる。「水を飲みたい!」という願望と、「永久に水が飲めなければどうしよう」という不安や苦痛の回避とである。後者が混じることで、例えば「今は水は特に飲みたくない」という人まで、水に向かって歩くことになるだろう。

 
さてこの後者の行動、つまり不安回避については、報酬系ほどその仕組みが分かっていないというのが真相らしい。というよりは不安を回避するための行動は、人間や動物にあまりに基本的な形で存在するために、どこか特定の脳の場所が考えられないという。つまり報酬系はあっても「懲罰系」は存在しないということか。おそらく脳の様々な部位を刺激しても、ここを刺激したら苦痛を感じる、というある特定の場所が存在しないらしい。というよりそのような部位は脳に広範に存在するのだろう。
 
快の追及と苦痛や不安の回避は、おそらく人間のあらゆる行動において、同時に存在している。どんな行動も、純粋に快楽的、ということはないのだ。ある快楽を追求することは、同時にそれを失うことへの恐怖を伴う。恋愛を考えればよいだろう。誰かと仲良くなることの純粋な喜びは一瞬である。その次の瞬間から、その人を失うこと、誰かに奪われることへの不安との戦いとなるのだ。