2012年6月22日金曜日

続・脳科学と心の臨床(29)


ニューラルネットワークというテーマについて、以前(201011月)私はこのブログに次のように書いた。(やった!これでほぼ一回分!)これを読み返すと、私の考えはほとんど変わっていない(というより何も進歩していない?)ということがよくわかる。

「ニューラルネットワークと前野隆司氏の「受動意識仮説」
私のこのブログには、ほとんど引用文献がないことが特徴だろうが、それは私が読書が嫌いで勉強不足だからだ。ただしもちろん注目する理論、参考にすべき学術書などはある。最近の慶応の前野隆司先生による「受動意識仮説」という、名前だけ聞いたら非常にとっつきにくい理論もそのひとつだ。何しろ明快で、私がニューラルネットワークや、創造性、不可知性として考えている内容にそのまま重ねあわすことができる。解離について考える上でもとても有効な考え方だ。
私も前野理論の専門家ではないから誤解している部分もあるだろうが、彼の代表的な著書(脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 前野 隆司 () 筑摩書房、2004年)
で先生は、ひとことで言えば次のような説を披露している。
どうして私が私であって、私でなくないのか、どうして私が意識を持っているのか、などは、哲学の根本的問題であり、いまだに解決しているとはいえない。ただひとつのわかりやすい答えの導き方は、私たちの意識のあり方が極めて受動的なものであり、私が意図的に思考し、決断し、行動していると思っていることも、私たちがある意味で脳の活動を受動的に体験していることが、いわば錯覚によりそのような能動的な体験として感じられているだけである、というのだ。
前野先生の心の理論を一言で言うと、それは「ボトムアップ」のシステムであるということだ。(ここでトップ、ボトムとは何か、というのは難しい問題だが、トップとは意識的な活動、つまり五感での体験や身体運動であり、ボトムとは、それを成立させるような膨大な情報を扱う脳のネットワーク、とでもいえるだろう。)
そもそも脳はニューロンと神経線維からなる膨大なネットワークにより成立している。そこでは無数のタスクが同時並行的に行われている。それらが各瞬間に決断を下している。それを私たちは自分が決めている、と錯覚しているだけ、ということになる。そしてこの考え方は、いわゆる「トップダウン」式の考え方とは大きく異なる。つまり上位にあり、すべての行動を統率している中心的な期間、軍隊でいえば司令部、司令官といった存在はどこにもいないことになる。
さてここからは、私が追加する部分である。このような考え方からは、多重人格の由来やその振る舞いもきわめて合理的に説明される。DIDの人の心は少し特殊で、ニューラルネットワークの中がいくつかに分かれ、それぞれの活動が連絡を取り合わないような仕組みが存在している。するとそのいくつかのグループのどの活動が、トップに到達するかにより、誰が現在活動しているかということが変わってくるのである。これが、どうして現在の人格Aが、突然別人格Bに取って代わられるか、ということを説明しているというわけである。
さらにはそれぞれの人格の持つ自律性、つまりそれぞれが個別の人間として振舞う、という性質についてもこの前野氏の仮説により説明される。そもそもボトムアップモデルの特徴は、自己の持つ自律性とは末端のニューラルネットワークにより生じるさまざまな活動の産物であるとして捉える。するとニューラルネットワークがいくつかに分離されている状態は、そこに異なるいくつかの自立性を持った意識が生じるということを意味するのである。」

慧眼なる読者には、この問題が創造性にも、リベ(ット)の意識と時間差の問題とも繋がっているということが理解できるであろう。意識とは観客であり、ステージ上で繰り広げられる様々なものを受動的に見るのだ。ではそこで演じられている内容は何かといえば、それは無意識(この言葉があまりに精神分析な手垢がつきすぎるというのであれば、ヤスパース流の「非意識」ということになる)の産物である。通常の意識のあり方は、すなわち観客の姿勢は、それを受け止めるまでのラグタイムが例の0.5秒ということなのだ。つまり意識内容はすでに0.5秒前に作られている(脳波が最初に動き出す)。ステージとしての意識は、演技の内容が出来上がって演じ始められるのを時間差で見るのだ。
ところで私たちがそれでも、「ステージ上で起きていることは私がつくっていること、考えていることだ」と錯覚することについては、それなりに意義がある。というのも私たちはそのような能動的な感覚を持つことなしには他人と関わったり、物事を遂行することはできないからだ。自分の心や体が、自分の意図したままに動いている、という感覚を持つことは、不安の軽減に繋がる。だってそうではないか。自分の体が意図しないことをしたり、言ったりするという体験ばかりでは、危険を回避して自分の身を守り、満足体験を追及するといった、生物としての私たちの基本的な活動に深刻な影響が及ぶことになるであろうから。
ステージ上で行われることについていくつかの項目にわけでもう少し説明しよう。それらは1.能動的な体験 2.創造的な過程 3.夢 4.この章のテーマである、解離体験である。